ゴンドラの歌
「ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲。吉井勇作詞。中山晋平作曲。
芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。
当初は酷評を受け、「カチューシャの唄」ほどの爆発的なヒットにはならなかったとされる。作曲者の中山は1931年(昭和6年)末に行った講演「演劇及び映画に於ける所謂主題歌に就いて」で、この曲があまり流行しなかった理由を長旋法(長調)で、当時の日本の歌曲では珍しかった6拍子のメロディが当時の(日本)人には受け入れづらかったのであろうと推測している。
ただ、1920年(大正9年)に大原社会問題研究所が大阪市内にて調査した「現時において最も普通に歌われてゐる流行歌」約100曲のリストに「ゴンドラの唄」が挙げられていることから、ある程度は流行したものと考えられている。しかし、その後この曲は「カチューシャの唄」と並んで100年にわたり歌い継がれる曲となった。鹿島孝二は『大正の下谷っ子』で、工業学校時代(1918年(大正7年)〜1919年(大正8年)頃または1919年(大正8年)〜1920年(大正9年)頃)にこの唄を愛唱したと回想している。
レコード売り上げについては、「カチューシャの唄」が2万枚売れたとされたり、『生ける屍』の劇中歌「さすらいの唄」が25万枚を記録したと言われる一方、「ゴンドラの唄」については具体的な数字が語られることがない。
堀内敬三は『音楽五十年史』の中でこの唄を、「大正5年末からじりじりと永く流行った」と述べている。
職場にいるおじいちゃん、おばあちゃん達 どちらかというとおばあちゃんたちが好きな歌。
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